きのうはたくさん雨が降ったね

「ねえ、かえるさん。」「かえるくん。」と、かえるくんは指を一本立てて訂正した。「ねえ、かえるくん、きのうはたくさん雨が降ったね。いろんなものが流されてしまったね。」

インタビューをする

仙台に、行ってきた。

 

仙台の人たちが、被災者のかたがたに向けて祈っているということが印象的だった。仙台は被災地であり、かつ被災地ではなかった。

 

大きな夢もないし、日々を怠惰にすごすし、人ともうまく仲良くできないわたしにも伝わることばで、

 

いんたびゅーなんてきっとされないであろう変わらぬ毎日をすごすあなたに。

 

やるぞー、やっちゃうぞー。

 

そうと決まったら早くこの薄暗いネットカフェから抜け出さなければ。

 

あと5分。

規格外

 牛乳なんて好きではないままこんなにぐんぐん大きくなってしまつたけれど唐突に、飲みたくなっていま、こうして飲み干したグラスの半透明を見ていると、どこからか健全な熱、のようなものが起こつてあとは布団の中で朝を迎えるだけの身体をどうにも持て余している。

 仲間のあいだで誰の唇が一番紅いかということを、給食室の裏で、各々の唇を定めあつたりしたこと思い出し、そのときから唇を、不自然に噛むくせがわたしにはあつたんだなあとふり返る。

 あたまを抱えたまま、わたしに向けられる視線というものがないのだと、気づいてからもずつと不自然に唇をゆがめたまま、どうすることもできずに自意識のうすい膜を増やしていつた。唇の紅を失わないように、噛み続けるのが冬だつた。

 

いつもかわいい―二月かばん歌会―

 はじめて実際にお会いしたひとびとはみな短歌、短歌をつくるひと、歌人だった。表現のかたちはさまざまあって、たとえば小説のそのひろがりは、長さにおいて無限、詩は行分けをとることによってそこに作者の息づかいが生れわたしはそのつらなりに呼吸をあわせる。

 なぜどういったきっかけで、思いで短歌なのか、でもそこに一同会して歌をよむ、実際に作者によってその歌が音になるときをはじめて感じ、ああ短歌、みんな短歌、ぴんと張った空気のなか、目を閉じてゆつくり深呼吸したくなる作者の声、あああわたしがここにいて、身を委ねられる心地よさ、

  すっぽりと首の収まる大きさのメロン箱が冷蔵庫の上に(久真八志)

 たとえばわたしはこの歌で一瞬にして想起できる――わたしは小学生で、マンション階下の住人のドアーからのぞく、同じ間取り、冷蔵庫の上のあの箱を、怒られながらたしかにそこにあったことをみとめることができる、息子が風邪で寝ているからと、大きな音を立てられては困るのだと、その視線の先にたしかにメロンの箱があったことを、作者の声で、感じることができる。

 自分が自然にできないことを苦しく思って、薄い膜のなかにいるような心地よさ、後ろめたさのなかで、どうしようもない違和感を抱えて世界におそるおそる触れる、みんなそうなんだ、わたしだけじゃないんだ、

 

 くつきりとしたリップ・ラインに

 38.5%の女子高生に

 首相の決断に

 レディースクリニックの看板に

 大丈夫、怯えてるんじゃない、突き放すんでもない、嫌気がさしている

 わけでもない

 眼鏡を外して一列に

 並んだ黄色いバスのなかから

 建ち並ぶ木々の間、棟のなかからいまここに

 わたしが並べたカスタネットのなかからひとつだけ

 選んでその理由をおしえて

 

 その帰り、わたしはちゃんと、ベビーカーしっかり持ってその重さを、感じることができるんだ、そんなときはわたしとても、身体が軽くて声もちゃんと通って、渋谷のまちでも大丈夫ですかって、声出せるんだ。

脱出

小学校3年生の学芸会の劇は僕の第一声で始まるのでした。その一言が大きな声で言えるかということが(大人たちにとって)とても重要だったのでその言葉を大きな声で言えるかどうかのオーディションがありました。晴れてそのオーディションを勝ち抜いた僕は檻の中から三蔵法師一行に向かって第一声を叫ぶのでした。

 

僕は今ねずみが屋根裏を駆けるこの部屋でパソコンに向かっていて遠くにいるあの人のところに駆けつけることはできない。そのつもりもない。おばあちゃんごめんなさい。

 

      全二回の劇で各回前後半で交代するので都合4人いる孫悟空役うちの1人より

女の子

なんにもないのにかなしいと、はじめて全身で感じたのは五歳のとき海老茶色の床のお教室でほかの友だちとペンでお絵かきをしているとき、わたしが描いたうさぎははだいろ一色でみんなに見られないようにうさぎの部分だけちぎってずっとポケットに入れていた、泣きそうだったけど我慢してそうして次はたくさんの色を使って女の子を描いた、あれがはじめてだった。

ほこら

帰り途、前田さんちの門灯に寄せられて、ひかりにおでこをつけたらまなうらでとても、明るかった。

けんじも知らないゆうまも知らないたくやも知らないわたしは明日みどりの窓口にゆこう。

「ほかのなにものでもないということを祠のなかではひみつにしてる」