きのうはたくさん雨が降ったね

「ねえ、かえるさん。」「かえるくん。」と、かえるくんは指を一本立てて訂正した。「ねえ、かえるくん、きのうはたくさん雨が降ったね。いろんなものが流されてしまったね。」

捨てられなかったボールペン

 さっきまで部屋の片付けをしていて、もう使えなくなって久しいカラーペンやボールペンを選別して、ゴミ袋にまとめた。何ゴミにしたらいいかわからないものは怖くて捨てられない。以前、ビニルゴミの日に、きれいにしないままの弁当の空やカップ麺の容器やインスタント食品の袋を捨てたら、回収されることなく「洗ってから捨ててください」という張り紙が貼って家のまえに置きっぱなしだったことがあってから、ゴミ捨てにトラウマがある。調べると、ボールペンは不燃ゴミだった。他に冷蔵庫の中に一年以上眠っていたペットボトル飲料数本も捨てることにした。ほとんどはなにかの機会に人からもらったジュースだ。成城石井のぶどうジュース、ガラナ、ファンタグレープの偽物、韓国のアイドルがパッケージの炭酸飲料。どれも飲めば、まずくはないのだろうけど、飲むタイミングを失って飲めずにいたし、賞味期限が切れているものもあったので思い切って捨てた。残るは、棚にある使い切ったサラダ油の容器数本と、冷蔵庫にあるほぼ使い切ったマヨネーズやケチャップの容器数本なのだが明日に回すことにした。

 

 捨てることにしたペンの中にはずっと前から部屋にあるものもあった。ということで小学生のときの話をする。

 

 私は小学二年生の秋学期が始まって数日経過したところから、今の地域に転校してきたのだけれど、暖かく周りの子にも迎えてもらって元気に遊んでいた。だけど、当時の自分はどうも自分勝手でよくわからないことがあって、友達と外で遊んでいても自分の気に食わないことがあると、遊びを途中で切り上げて「帰る」といってさっと家に帰ってしまうような子どもだった。近くの遊水池で野球をしていてもそうだったし、遊んでいる途中にみんなが場所を我が家からは少し離れた「たこ公園」に変えようとすると、「だったら帰る」と言って本当に帰った。よく友達も付き合ってくれていたと思う。小学生も高学年になると、こんな自分勝手じゃあまずい、友達もいなくなると思ったのか、次第に「たこ公園」で遊ぶことも苦では無くなり、自分勝手に遊びを切り上げて帰ることも減っていった。

 

 小学校の高学年のときによくわからない子どもだった自分の暴力性がぱっと表に出てきた出来事があった。そのときは確か近所の友人の家に何人かの他の子たちと遊びにお邪魔していた。前後の脈絡などは全く覚えていないし、そのときに自分の感情が喜怒哀楽のどこにあったのか、全く覚えていないのだけど、自分は家主の男の子の頭の上になんとかして乗ろうとしていたのは覚えている(気がする)。どういうことかというと、彼を横に寝かして、横になっている頭の上に両足を乗せてバランスを取ろうとするのだ。うっすらと自分は楽しそうに(!)なんとか頭に乗ろうとし、下にいる男の子はそれから逃れようとし、周りの子たちは止めようとしたいた記憶がある。そしてばつが悪かったのだろう、私はすたこらと、「帰る」と言って先に帰った。

 

 はたしてこの思い出が本当にあったことなのか自信がない。こんな暴力的なことを自分が現実に自分がしでかしたはずがないから、暴力性に憧れた自分が思春期にいつのまにかでっちあげた空想かもしれない。その友達のことが嫌いだと思ってことは一度もなかったし、今もない。真偽を確認するのは怖すぎてできない。なんでそんなことをできたのかはわからない。そんな子どもの頃の自分の中にあった暴力性の話。この話に救いもオチもないのだけれど、ずっと自分の中に後悔のような罪悪感のような恐ろしさのようなものが残っていたので、ここに書き出してみた。もうそうそうその彼にも会うことはないけれど、あのとき言わなかったかもしれない「ごめんなさい」をここで言いたいのです。ごめんなさい。

 

 

 というわけで、今後はこのブログで詩的なもの以外に、エッセイ的なものも書いていくことを宣言いたします。