タクトを折ろう
きのうは高校の後輩の演奏を聴きに行って、とても上手でそれはとてもいい時間だったのだけどちょっとしたお芝居やオーケストラを聴きに、つまり舞台に立つひとをみに行くたびに、わたしは舞台が無防備であることにひどくどきどきする。
あんなんじゃ、つかつか舞台まで行って指揮者のタクトをぶん取ることだって、できるじゃないかと、どの舞台をみに行くときも飽きずに想像してどきどきする。この会場のなかで、だれかひとりくらい、実際にそんなことを思って自分を抑えきれなくなるひとも、いるんじゃないかと思うけれど、まだそんな場面に遭ったことはない。
むかし、両親にいまからわたしのすることみててと言い、コンロの火にティッシュをかざしティッシュを、燃やしたことがある。みて!みて!と言う間にみるみる火はティッシュを飲み、その後のことはおぼえていないけれど歌うひとや踊るひとや、舞台に上がるだれかをみに行くときには必ず、このことを思い出す。
「ものをこわしたり 子犬をけったり 花をむしったり
笑っちゃいけないときに笑って 笑っていいときに笑わないで
バラの枝にさわったあと だれかがなぐさめてくれるまで、いつまでも泣いたり
それが ジャーヌだ」 高野文子「私の知ってるあの子のこと」
じぶんがこれまで、上がった舞台でもだれか、早くここまで来てと、ほんとうは少し思っていた。