いつもかわいい―二月かばん歌会―
はじめて実際にお会いしたひとびとはみな短歌、短歌をつくるひと、歌人だった。表現のかたちはさまざまあって、たとえば小説のそのひろがりは、長さにおいて無限、詩は行分けをとることによってそこに作者の息づかいが生れわたしはそのつらなりに呼吸をあわせる。
なぜどういったきっかけで、思いで短歌なのか、でもそこに一同会して歌をよむ、実際に作者によってその歌が音になるときをはじめて感じ、ああ短歌、みんな短歌、ぴんと張った空気のなか、目を閉じてゆつくり深呼吸したくなる作者の声、あああわたしがここにいて、身を委ねられる心地よさ、
すっぽりと首の収まる大きさのメロン箱が冷蔵庫の上に(久真八志)
たとえばわたしはこの歌で一瞬にして想起できる――わたしは小学生で、マンション階下の住人のドアーからのぞく、同じ間取り、冷蔵庫の上のあの箱を、怒られながらたしかにそこにあったことをみとめることができる、息子が風邪で寝ているからと、大きな音を立てられては困るのだと、その視線の先にたしかにメロンの箱があったことを、作者の声で、感じることができる。
自分が自然にできないことを苦しく思って、薄い膜のなかにいるような心地よさ、後ろめたさのなかで、どうしようもない違和感を抱えて世界におそるおそる触れる、みんなそうなんだ、わたしだけじゃないんだ、
くつきりとしたリップ・ラインに
38.5%の女子高生に
首相の決断に
レディースクリニックの看板に
大丈夫、怯えてるんじゃない、突き放すんでもない、嫌気がさしている
わけでもない
眼鏡を外して一列に
並んだ黄色いバスのなかから
建ち並ぶ木々の間、棟のなかからいまここに
わたしが並べたカスタネットのなかからひとつだけ
選んでその理由をおしえて
その帰り、わたしはちゃんと、ベビーカーしっかり持ってその重さを、感じることができるんだ、そんなときはわたしとても、身体が軽くて声もちゃんと通って、渋谷のまちでも大丈夫ですかって、声出せるんだ。