ほつかいどうはいまもさむい
四歳のときだったか五歳のときだったか、まだ道路脇に堆くゆきの残るきせつ、母と駅前の横断歩道で信号をまっていた、わたしはそのときのかぎりの淫靡なことばを発そうと、それで母に「おんち」とはつきりと一音一音区切つてそう云ったのだった。
母は眼をまるくしてなんと云ったか、わたしは「おんち」が音痴だなんてつゆも知らずきつとそれはとてもみだらでいやらしいことばなのだと、それをどうしても母に伝えなくてはならないと思つていた。
なにも知らないわたしはなにも、間違つていなかつたのだ。
言語感覚のめざめかもしれなかつた。