関西弁はわたしのことばではない、夏
<きゅうこうでんしゃ>が通過する、直前に初老の女性のわたしの前を、わたしは黄色い線の内側すれすれのところに立っていたので女性は黄色い線の真ん中を、わたしに少し体当たりしながらそして<でんしゃ>が通過。
<でんしゃ>が通過するときわたしは歌をうたうか何か云うかいずれか、轟音にけされてしまうからうたうかいうかする。
夕方の照付が激しく、四番線、<ホーム>の格子網を背にぴったりと、陽を避けるようにはりつくひとびとの傍ら、黄色い線の内側ぎりぎりに立つ。
あるやんうそあるやんとあねが、三つ編みの編み込みがきっちりとあねの顳顬あたりから組み込まれていて、苦しい。編み込みは左右から首の後ろ、あねの項のちょうど
山手線はみんなの電車や、
くじらがな、顔、右向きでしっぽが左側、あれはくじらかな。
抜け目のない女子、さらさらとしたポリエステル素材の、下着の易々透けてしまう生成りのブラウスを、着ることはできるしあねもするのだけど素材は同じでもセンスのよい、としか云いようのない、それを身につけ、脚元は細めのヒール、サンダルだったりする。
向かいには、親指に包帯を巻いたサンダルヒールのお姉さん、いいんだろうかほんま小説には二週間前から咳の止まらぬ主人公、いいんだろうか。