きのうはたくさん雨が降ったね

「ねえ、かえるさん。」「かえるくん。」と、かえるくんは指を一本立てて訂正した。「ねえ、かえるくん、きのうはたくさん雨が降ったね。いろんなものが流されてしまったね。」

僕の青春は

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僕の青春は。

 

以前、ネットでできる無料の脱衣ブロック崩しにハマっていたことがある。

ブロック崩しをクリアすると二次元の女の子の衣類が一枚ずつ脱げていくエッチなゲームだ。ただのブロック崩しだと物足りないのだ。ブロック崩しに目標をプラスしたこのゲームは僕としては画期的に思えて、ずっとやっていた。

 

難易度が簡単すぎてすぐに裸にたどりついてもつまらない。けれど、いくらやっても裸が見れないとつまらない。制作側とプレイする側のバランス感覚が非常に難しいゲームだったように思う。

 

クリアしたからといって、その画像で、ことをなすことはほとんどなかった。

ただ純粋にブロック崩しをクリアして、裸の女性にたどり着きたかっただけなのだ。

 

...

僕の青春は。

 

ここ数日身体がだるかったのだけれど、とうとう昨日の午後39℃熱が出た。早速街の医院に行って診てもらったのだけれど、インフルエンザではなくてホッとする反面、お医者さんもただの風邪にしては熱が高いといぶかしんでいた。

 

今日はもらった薬を飲んで休んでいたら熱も下がりだいぶ楽になったので、夕方少し外出、スーパーで買い物をして帰る。20時半の寿司の半額は待てないので、二割引のいなり寿司と弁当を買った。

(「ズバリ!税抜き価格」という看板は何を言いたいのだろう。)

 

外出してわかったこと。

頭が痛いなと思っていたけれど正確には目を動かしたときに目の奥が痛むということ。

 

今は帰宅して弁当を食べている。

 

...

 

そう、

僕の青春は、リン・ミンメイだった。

まあいっか、


目を閉じて、


小学校三年生のとき、給食の時間せんせいが、にこやかにデザートのみかんをくちにいれ、もぐもぐしたのち、皮だけをべーっと出すのを見て、きれいに剥かれたみかんの外皮のなかにつぎつぎと落とされるべーっとなったそれがいつまでもそこにあって、こわかったな。

とてもやさしい、先生だったな。


✳︎



こんにちは、早送りみたいな


まだ赤ちゃん?

声別人現象

今週のお題「ナイショにしていたこと」

 

 

だれにも言っていなかったこと。

思春期のころから、自分の声がずっと嫌いだったこと。なにかの機会にビデオに撮られた自分の声を聞くことがあったけれど、そこで自分の声を聞くたびに、自分の声はこんなにもダサくて情けない声なのか、と哀しかった。中途半端に高くて、ひょろひょろで滑舌も悪い。さいあくだ。人に言っても理解されない。「いやいや、その声にも味があるよ」なんて言ってくる。味ってなんだよ。曖昧に褒めるときの言葉じゃないかよ。代わってくれよ。

だって、

 

(自分の声を同時に耳から聞くのと、録音した自分の声を後から聞くのだと、全く別人の声に聞こえる現象はなんなんだろう。非常に困る。歌手はいつも苦しくないのだろうか。自分なら、録音された自分の声と、生の自分の声とのギャップでヒステリーになりそう。「声別人現象」。)

 

これじゃあ「君が好きだよ」に何の説得力もない。茶番みたいな声だと思った。そんなことがあったあとはなるべく声を発さないようにしていた。実はつい最近までそうだった。声コンプレックス。たとえばスピッツのボーカルみたいな声がよかった!

 

でも昨日久しぶりに自分の声をビデオをとおして聞いたら、そんなに嫌な気がしなくなっていた。まあ、こんなもんかなと思えた。まあ自分もがんばってる。これなら「愛してるよ」も言える気がする。愛してるの響きだけで強くなれる気がする。

 

大人になるってこと?

 

夕飯のカップラーメンに、コンビニで398円のアボガドのコブサラダを追加すること。

足腰の悪い祖父母が雪道を滑らないように、朝から雪かきをして、手を引いて選挙に行くこと。

結婚式のご祝儀に、学生だから2万円と思わずに、学生だけど3万円と思うこと。

彼女のお父さんが一生懸命早稲田大学を褒めるのを、ビールを飲みながら聞くこと。

 

 

 

インフルエンザの菌は、のどの周りでとめておかず、定期的に水を飲んで流し込んでしまうのがいいらしい。結局体の中に入るのに意味があるのだろうか。

 

自分のためじゃなく、周りのためにインフルエンザにかからないように、気をつけて水をこまめにぐびぐび飲むこと。

 

おーけー

はなの金曜日、友だちと友だちの叔父さんと友だちの叔父さんの上司と飲みにゆくことに。

ひと足はやく着いた茅場町を散策、ビルと飲み屋ばっかのまちだ。

 

横断歩道わたる人々の、わたし以外みなはたらくひとであるという事実に、自分もその中に放り込まれるのだと白線を踏みながら強く感じているけれど、電話でおーけーおーけーと話す外人の声に、わたしもそれなら言えるよと、少し安心して歩道をわたり切る。

 

だけど一月の見知らぬ東京はさむい。

 

待ち合わせ場所に友だちの叔父さんの上司が一番に来たらどうしようと思ったけど、

まず友だちが来てくれたからよかった。

 

おいしいお酒をたくさん飲んで終電を乗り過ごし、5つ先の駅で自家用タクシーに拾ってもらい、同乗していたお兄さんに半額出してもらってなんとか家に着く。

 

 

友だちの叔父さんの上司から借りた「TOKYO大衆酒場」をむねに抱いて眠る。

 

捨てられなかったボールペン

 さっきまで部屋の片付けをしていて、もう使えなくなって久しいカラーペンやボールペンを選別して、ゴミ袋にまとめた。何ゴミにしたらいいかわからないものは怖くて捨てられない。以前、ビニルゴミの日に、きれいにしないままの弁当の空やカップ麺の容器やインスタント食品の袋を捨てたら、回収されることなく「洗ってから捨ててください」という張り紙が貼って家のまえに置きっぱなしだったことがあってから、ゴミ捨てにトラウマがある。調べると、ボールペンは不燃ゴミだった。他に冷蔵庫の中に一年以上眠っていたペットボトル飲料数本も捨てることにした。ほとんどはなにかの機会に人からもらったジュースだ。成城石井のぶどうジュース、ガラナ、ファンタグレープの偽物、韓国のアイドルがパッケージの炭酸飲料。どれも飲めば、まずくはないのだろうけど、飲むタイミングを失って飲めずにいたし、賞味期限が切れているものもあったので思い切って捨てた。残るは、棚にある使い切ったサラダ油の容器数本と、冷蔵庫にあるほぼ使い切ったマヨネーズやケチャップの容器数本なのだが明日に回すことにした。

 

 捨てることにしたペンの中にはずっと前から部屋にあるものもあった。ということで小学生のときの話をする。

 

 私は小学二年生の秋学期が始まって数日経過したところから、今の地域に転校してきたのだけれど、暖かく周りの子にも迎えてもらって元気に遊んでいた。だけど、当時の自分はどうも自分勝手でよくわからないことがあって、友達と外で遊んでいても自分の気に食わないことがあると、遊びを途中で切り上げて「帰る」といってさっと家に帰ってしまうような子どもだった。近くの遊水池で野球をしていてもそうだったし、遊んでいる途中にみんなが場所を我が家からは少し離れた「たこ公園」に変えようとすると、「だったら帰る」と言って本当に帰った。よく友達も付き合ってくれていたと思う。小学生も高学年になると、こんな自分勝手じゃあまずい、友達もいなくなると思ったのか、次第に「たこ公園」で遊ぶことも苦では無くなり、自分勝手に遊びを切り上げて帰ることも減っていった。

 

 小学校の高学年のときによくわからない子どもだった自分の暴力性がぱっと表に出てきた出来事があった。そのときは確か近所の友人の家に何人かの他の子たちと遊びにお邪魔していた。前後の脈絡などは全く覚えていないし、そのときに自分の感情が喜怒哀楽のどこにあったのか、全く覚えていないのだけど、自分は家主の男の子の頭の上になんとかして乗ろうとしていたのは覚えている(気がする)。どういうことかというと、彼を横に寝かして、横になっている頭の上に両足を乗せてバランスを取ろうとするのだ。うっすらと自分は楽しそうに(!)なんとか頭に乗ろうとし、下にいる男の子はそれから逃れようとし、周りの子たちは止めようとしたいた記憶がある。そしてばつが悪かったのだろう、私はすたこらと、「帰る」と言って先に帰った。

 

 はたしてこの思い出が本当にあったことなのか自信がない。こんな暴力的なことを自分が現実に自分がしでかしたはずがないから、暴力性に憧れた自分が思春期にいつのまにかでっちあげた空想かもしれない。その友達のことが嫌いだと思ってことは一度もなかったし、今もない。真偽を確認するのは怖すぎてできない。なんでそんなことをできたのかはわからない。そんな子どもの頃の自分の中にあった暴力性の話。この話に救いもオチもないのだけれど、ずっと自分の中に後悔のような罪悪感のような恐ろしさのようなものが残っていたので、ここに書き出してみた。もうそうそうその彼にも会うことはないけれど、あのとき言わなかったかもしれない「ごめんなさい」をここで言いたいのです。ごめんなさい。

 

 

 というわけで、今後はこのブログで詩的なもの以外に、エッセイ的なものも書いていくことを宣言いたします。

 

 

犬のたまごをあげよう

拝啓 

紅葉が見頃の季節になりました。なぜ木々は秋になると紅葉になるか知っていますか。わたしは知りません。

 

それはさておき。

今日はあなたの何度目かの誕生日ですね。

 

プレゼントに犬のたまごをあげましょう。この手紙に同封します。

 

え、猫のたまごのほうがよかったですか。ごめんなさい。猫のたまごは用意していません。犬のたまごしかありません。

 

犬のたまごを愛情をもって暖めてあげてください。

寂しがるので寝るときはそばにいてあげてください。

 

たまごからは子犬が産まれるときともっと小さなたまごが入っているときとがあります。

子犬はかわいがって育ててあげてください。

もっと小さなたまごは錐で穴を空けてひもを通してペンダントにしてください。

 

風邪を引かないように気をつけてね。<ハナウタ>の言うことなんて信じてはだめだよ。風邪になってしまうよ。涙が出そうになったらしょうがミルクのど飴を舐めること。甘くておいしいよ。 

敬具

 

しんじゅくでマシュマロ焦がす

やめてやらー、やめてやらー、「紙コップ」で「未来」つくることなんて、やめてやらー。「オープンマインド」も「つり革に手をふれない」もぜんぶやめてやらー。まばたきだけしていきていこうね。


かつ、


さまざまな


<はなうた>はしんじて、


いきていこうね。